伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』を開催

Art Gallery M84は、2019年2月4日(月)より伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』を開催致します。

今回の作品展は、Art Gallery M84の第83回目の展示として実施する企画展です。
 伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』を撮影した写真家が選んだモデルは、女としての魅力に満ちあふれており、娼婦の家お抱えの女、月末の小遣い銭を稼ぐ為のポーズをとるお針子、アーティストの情婦。これらの女達は控え目ながらエロチズムを滲ませ、当時厳しかった検閲を相手にかくれんぼ遊びをするが如き格好でまろやかな身体付きを顧客に披露した約100年前のヌード写真を日本で初めて展示(約50点)します。展示するこれらの作品は、オリジナルビンテージであり厚い印画紙にプリントされた銀塩写真です。是非お楽しみ頂けたらとおもいます。

そのままハガキとして送られることの無かった女性ヌードのポストカードも展示します。もし使用するとしたら、そっと封筒に差し込み隠して郵送するのが常だったとのこと。こうして世界中に飛び散った可愛い女たちのカードは、パリが世界の亨楽の都として登場する20世紀初頭のベル・エボック(旧き良き時代)及び1920年頃のアンネ・フォル(無軌道時代)の歓喜を物語るものです。

ごく稀に、モデルと写真家の名前が判るものがありますが、多くはモデルと同じく写真家も自己保護の見地から、匿名状態となっている。これらの作品を残したスタジオや写真家の名前を将来発見することが充分考えられるが、モデルについては名前とその身辺のストーリーを知ることは極めて難しいのですが、今回は、そのごく稀に写真家の名前が判った作品も展示します。近年コレクターや専門家により研究が進み、スタジオ名と写真家のイニシャルから特定した写真家 ジャン・アジェロウ(Jean Agélou)の作品12点、写真前面に名前を表示した数少ない写真家 ジュリアン・マンデル(Julian Mandel)の作品8点、エロティック・フォトグラフィーのパイオニアである写真家 レオポルド・ロイトリンガー (Léopold Reutlinger)の作品1点、近代的視点でヌードを捉えた芸術的写真家 サーシャ・ストーン(Sacha Stone)の作品2点も展示します。他の作品は、匿名状態のものです。

ごく稀な例外を除けば、19世紀のヌード写真は、ポートレート同様アカデミックな絵画の規範から抜け出しきれないでいた。画家のモデルになった女性達は、ポーズやスタイルを変えずに、そのまま写真家のスタジオに移動していた。しかし、1900年代を軸に変化する。人工照明は、それまで不可能だった写真効果を期待できる様になったし、新しいレンズや素早く撮影出来るフイルムは写真家やモデルのポーズにより一層自由をもたらす結果となった。この1900年頃において、初めて女性ヌードのポストカードが出現する。このカードの起源には、多くの伝説が伴うが、他の伝説と同様に、この話も十分信用できるのではないだろうか。

※ある有名な゛メゾン・ド・クローズ゛でお客を増やす為に、お抱えの娼婦達に個々の特徴を暗示する様な魅惑的なポーズでポートレートを撮らせ、お客に直接渡すことを思い付いたのが女性ヌードを撮影したポストカードの始まりだと言う伝説。

【写真家ジャン・アジェロウ(Jean Agélou)のプロフィール】
1910年〜1920年代に活躍したフランスの写真家。20世紀初頭のエロティックなヌード写真が有名です。「JA」という名前が知られるまでには長い時間がかかりました。ポストカードの大手コレクターであるChristian BourdonとJean-Pierre Bourgeronは、できる限り完全に作品を集めるように努力してきました。
1878年 エジプト・アレクサンドリア生まれ。
1899年 彼は、20,000人の購読者を持つアーチィストを対象とした雑誌に作品を発表し
   始め、その後ポストカードも制作した。モデルの年齢は、わずか14歳から24歳
   でした。これは1899年3月16日の法律下で合法でした。
1900年代 エロティック・フォトグラフィーの黄金時代を迎えたが、それでも写真家は
     慎重に判断しなければならず、彼は自分の作品に「JA」と入れました。
1908年以降 彼の恋人フェルナンデ(Fernande Barrey)がモデルであったことを除けば、
      私生活についてはあまり知られていません。
1908年4月7日 フランスでは写真のヌードが禁止されました。
      すべての媒体からヌードが消え、ストック画像が修正され、ベール又は 
      小さな目の粗いパンティが追加され、陰毛がブラッシングされました。
      ヌード写真は、秘密裏に流通し始め、プロデューサーは慎重に行動しな
      ければなりませんでした。フェルナンデ(Fernande Barrey)のエロティッ
      クな写真は、第一次世界大戦で両側の兵士達によって大事にされた。
1921年8月2日 兄弟のGeorgeとの自動車事故により42歳で亡くなりました。
1970年代初頭 アジェロウのオリジナル・ヌードプリントは再び利用可能になった。
       (まだ禁止されていた日本を除いて)

【写真家ジュリアン・マンデル(Julian Mandel)のプロフィール】
20世紀初頭の女性ヌード写真で、最も有名な商業写真家の一人です。彼は官能的なポストカードを制作しました。また、カードサイズの写真前面に名前を表示した数少ない写真家の一人でもある。モデルは、古典的なポーズで見つかることが多く、スタジオ内と屋外で撮影された。画像は、洗練されたトーンと柔らかな照明で巧みに構成されている。影ではなく光によって作り出された特定の質感を表している。伝えられるところによれば、マンデルは、ドイツの前衛的な「ニューエイジ・アウトドア」または「プレイン・エア」運動の一員であり、それに参加していた。女性の肌の色合いは、自然の荒さに反しています。
1872年 フランス・アルザス生まれ。
1910年代 彼の署名した写真が知られるようになり、Alfred Noyer、Les Studios、
    P-C Paris、Neue Photographische Gesellschaft等の会社によって出版された。
1935年 パリで亡くなりました。

【写真家レオポルド・ロイトリンガー (Léopold Reutlinger)のプロフィール】
彼の叔父は写真家Charles Reutlinger、彼の父も写真家ÉmileReutlingerでした。
また、彼はエロティック・フォトグラフィーのパイオニアでもありました。
1863年3月17日、ペルー・Callao生まれ。フランス人写真家
1890年 父親からパリのスタジオを引き継ぎ、彼の叔父と同様に、彼は人気のある女優
   やオペラ歌手の写真を撮影しました。間もなく彼は、ファッションや広告のレコ
   ーディングも行い、ムーランルージュやフォリー・ベルジェールなどの娯楽施設
   のスターを撮影した。写真は、雑誌や新聞に売るか、はがきとして販売した。
   特にアールヌーボーの影響を受けているポストカード形式のビジネスは成功。
   絵は部分的に着色され、フォトモンタージュとしてデザインされた。
1903年 彼は40歳の時に優れた評判を得ていた。明らかに叔父の成功を上回った。
1914年 息子Jeanは1910年以来一緒に写真家として働いたが第一次世界大戦で倒れた。
1930年 シャンパンのコルク栓で事故に見舞われました。
1937年3月16日に亡くなりました。

【写真家サーシャ・ストーン(Sacha Stone)のプロフィール】
本名はアレクサンダー・スタインサピール。芸術的写真家。
1895年 ロシア・サンクトペテルブルク生まれ。
1911年〜1913年 ポーランドのワルシャワ工科大学で電気工学を学ぶ。
1913年 ニューヨークに移住し、ニュージャージー州のエジソン会社で数年間働いた。
1917年 アメリカ軍に入隊し、第一次世界大戦で奉仕し、1919年6月14日に名誉退任。
    (アメリカ軍にいる間、パリのアメリカ遠征軍(AEF)芸術訓練センターに滞在)
1918年 サーシャとキャミは一緒にベルリンに引っ越した。
    ベルリンでは、サーシャは彫刻家Aleksandr Archipenkoと関わり、雑誌定期刊
    行物「G-Materialfürelementare Gestaltung」の寄稿者でした。
1919年 パリのRue de Plantesに住み、彫刻家として働いた。
1922年 キャミと結婚。
1924年 ベルリンにアトリエストーンと名付けた自身のスタジオをオープンした。
1928年 彼は名前をサーシャ・ストーン(Sasha Stone)に変更し、画家になりました。
1928年 彼の最も有名な作品は、出版された「Walter Benjamin」の表紙に採用された。
   彼は芸術家としては成功しなかった。この時期のヨーロッパ景気低迷の為、写
   真を主な収入源として活動した。サーシャは肖像画、ジャーナリズム、長編
   画像、広告、財産、ファッション、建築写真を扱う、非常に用途の広い写真家
   になった。彼は、ベルギーのやパリのBilfurの様な超現実主義的な媒体の為にも
   写真を撮った。彼の作品は、ドイツのエッセンで開催された最初の国際写真展
   「フォトグラフィ・デア・ゲーゲンワート」、及びドイツのシュトゥットガルト
   で開催されたヴェルクバンド展覧会「フイルムとフォト」で展示された。
1931年 サーシャとキャミは、キャミの出身地であるブリュッセルに移住。
1933年 サーシャとキャミの裸体ポートフォリオ「Les Femmes」が、フランスの雑誌
   「Arts et Metiers Graphique」によって出版された。
1939年2月15日 キャミと離婚。サーシャが再婚するまでキャミは一緒に働き続けた。
1939年4月29日 サーシャは、リディアエデンと再婚。
1940年5月14日 ブリュッセルへのドイツの攻撃を避け、アメリカに移動を開始。
1940年8月6日 サーシャは深刻な病気で、フランスのペルピニャンで亡くなりました。

【写真展概要】
名  称 : 伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』
作 品 数 : 約50点
作品販売 : 展示作品は、全て購入可能
主  催 : Art Gallery M84
期  間 : 2019年2月4日(月) ~ 3月2日(土) ※休館日を除く
場  所 : Art Gallery M84
所 在 地 : 〒104-0061東京都中央区銀座四丁目-11-3 ウインド銀座ビル5階
電  話 : 03-3248-8454
開館時間 : 10:30~18:30(最終日17:00まで)
休 館 日 : 日曜日
入 場 料 : 700円
URL : http://artgallery-m84.com/?p=5706

【伝説のヌード写真『旧き良き時代のパリジェンヌたち』の代表作品】
伝説のヌード写真代表画像B_convert_20181220131724
クレジット: Legendary nude photos © Parisienne in good old days-B / M84

伝説のヌード写真代表画像_convert_20181211182544
クレジット: Legendary nude photos © Parisienne in good old days-A / M84
以上 

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